邪馬台国東四国説(阿讃播の東瀬戸内説) 古代史

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邪馬台国東四国説(阿讃播の東瀬戸内説)


四国霊場開創から1200年,阿波と四国の完全封印は解けるのか?

前方後円墳への阿波勢力の影響

2000年に青木書店から出版された
北條芳隆,溝口孝司,村上恭通著『古墳時代像を見なおす』

kohunjidaizo.jpg

さらに2001年に徳島のTV局で放映された北條芳隆氏出演の
ルーツは徳島か 前方後円墳

0920h.jpg

これで,ようやく邪馬台国東四国説も日の目を見るかと思ったものでした.
現在のところ,前方後円墳の成立に東瀬戸内勢力が大きくかかわったことは定説になりつつあります.
ただ,邪馬台国や神代記の内容までは危険すぎて踏み込めないといったところでしょうか.

現在の日本全体の損得勘定でいえば,このままの状況がよいのかもしれません.
しかし,未来の日本のことを考えて,勇気を出して見なおすべき時であろうと考えます.
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邪馬台国の母国=東四国説

林博章氏が忌部氏の研究と共に精力的に展開されている説です。

『日本の建国と阿波忌部』 『倭国創生と阿波忌部』

において、大量の有益な資料 とともに邪馬台国の母体としての東四国説が展開されています。

hayashi.jpg   hayashi1.jpg

素晴らしい点は、現代考古学の成果と忌部氏の伝承を上手に組み 合わせて
考察されているところでしょう。
阿波の再興を目指す 研究会がどのように活動されていくのか、今後の発展が楽しみです。

なお、自説との大きな違いは、林説では3世紀の東遷を卑弥呼・ 男弟によるものとしており、
箸墓・ホケノが対応するという点です。 自説では、3世紀の東遷はヒルコ・ニギハヤヒ・鳥磐楠船
による ものと考えています。 もちろん東四国に径百余歩の墳丘墓がなければ卑弥呼の墓は
箸墓周辺 くらいしか考えられないので、現時点では自然な推論だと思います。
しかし、大麻比古神社の「丸山」は本当に墳丘墓ではないのでしょうか?

東遷した一族も鏡を威信財として利用したと考えられます。 自説では、東遷した一族の巫女の
役割を果たしたのが 倭迹迹日百襲媛命(卑弥呼=天照大神の近縁)であり、 神がかった状態では
天照大神と同一視されたと考えています。

(以上,邪馬台国東四国説のHPより)
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邪馬台国の中心地域-大麻山-

1990年代に大杉氏の四国説の24国比定に対する修正案は得たものの,
卑弥呼の墓はどこかという問題は分からないままでした.
多くの阿波説の方が主張される八倉比賣神社の古墳は,考古学者が
時代を否定していました.(参照 日本の古代遺跡シリーズ「徳島」保育社)
径百余歩(直径150m程度)と倭人伝に書かれれていますが,その古墳は
せいぜい40mくらいでしょう.まったく規模が違います.

私は2005年頃からようやく徳島で十分な調査をする機会を得ました.
そして,萩原墳丘墓の周辺に邪馬台国の中心地があったことをほぼ確信しました.
理由は,3世紀における考古学的な重要性(ホケノ山古墳との密接な関係,
出土した画文帯神獣鏡による朝鮮半島との交流),歴史的に重要な地域
(大麻比古神社,霊山寺,東林院等),記紀における地形・地名の類似性
(狭い範囲なので偶然とは考えられない)などです.

さらに,直径150mの卑弥呼の墓も推定できました.何のひねりもなく,
阿波国一の宮である大麻比古神社の本殿裏にある丸山です.
非常にわかりやすい場所にずっとあったものの,日本という国の
まとまりを崩さないためにずっと隠されてきたということなのでしょう.

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邪馬台国東四国説

邪馬台国東四国説のHPをgeocitiesからfc2に引っ越しました.

四国説に出会ったのは,もう20年前になります.
大杉博氏の「邪馬台国はまちがいなく四国にあった」(たま出版)を近所の書店で
購入したのがきっかけでした.(以前から四国が候補にならない理由が知りたかった.)
邪馬台国論争における各説の不備が指摘されており,氏の説も部分的には納得できるものでした.
しかし,氏の主張される郡郷名が国名とあまり類似していなくて,再調査することにしました.
数か月の調査で,確かに国名の名残りが四国の主要地名として残っていることが分かりました.
1994年頃に大杉氏に修正案を送ったり,雑誌「邪馬台国」に統計的な有意性に関するノートを
送ったりしましたが,そのあとは仕事のほうが忙しくなり調査を中断していました.

osugi2.jpg

geocitiesにHPをアップしたのは2001年頃です.
webの邪馬台国論争掲示板「大論争」で自説を主張するために作成しました.
そのときのログが残っていますが,いくつかの有益な議論ができました.
その頃には,奈良のホケノ山古墳と阿波との関係が取り沙汰されるようになっていました.
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邪馬台国東四国説

四国には,魏志倭人伝に記された国名が地名としてしっかり残っています.
これは,単なる偶然なのでしょうか?
邪馬台国の都と女王卑弥呼を探すことによって,それが次第に分かってくることでしょう.

map9cd.jpg

邪馬台国四国説
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