邪馬台国東四国説(阿讃播の東瀬戸内説) 大麻山

邪馬台国東四国説(阿讃播の東瀬戸内説)


四国霊場開創から1200年,阿波と四国の完全封印は解けるのか?

大麻山の春

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大麻山の地図

「坂東の山やま」氏橋武敏氏編・著の地図に地名を書き込んだものです。

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大麻山の岩穴は、結構探索されているようです。
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大麻山の岩屋

大麻山のどこに岩屋があるのでしょうか・・・。
私は5年ほど前に探しましたが、見つけられませんでした。

大麻彦神社伝来書上帳に以下のように書いてある「岩穴」が第一候補でした。

「大麻山の北裏後ロ谷と申所に岩穴御座候其上にみかんの木御座候也
村老申候大方すたちに而御座候哉と奉存候」

しかし、ずいぶん前に大勢の村人で探したことがあったそうなのですが、
この岩穴は見つからなかったようです。

古事記では、以下のように記されています。

「天の安の河の河上の天の岩屋に坐す、名は伊都之尾羽張神、是遣すべし。・・・」

また、天の安の河と天の真名井では、天照大神とスサノオ命がうけい
をしていますが、大麻山の真名井の位置はよく知られています。
伝来書では以下のように記されています。

「丹(アカ)の水
天日鷲命清麻穀(カヂ)をすすき玉ひ洗ひ給ひし井戸ニて御座候
井水を戴く時ハ心身の汚を払ひ且疱瘡軽安のよし申伝
参詣之諸人頂戴仕又家土産等ニ仕候
尤照とも不乾降とも不増麻漬川同様ニ御座候往古は御井ノ社と申して
天日鷲命二上命ニ神之祠御座候
由只今は石壇のみ残り居申候」

おそらく「丹(あか)」とは「安(やす)の河」のことであり、
「安河=あかわ」と読まれたのでしょう。

以上から、真名井の近くにあった川(現在は枯れている)の上流を探せば
よいはずなのですが、これだけ情報があっても見つけられませんでした。
岩戸隠れの記述から推測しても、高天原からそれほど遠くないはずです。

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実は、思った以上に頂上に近い場所にあったのかもしれません。

いずれ岩屋戸に最も縁がある方が探し出されるのではないでしょうか。
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聖地大麻山10

これまで、魏志倭人伝、記紀、地名、伝承、考古学などを用いて、
この地が日本における第一の聖地であることを述べてきました。
他にそのような場所は見当たらないため、論理的にはほぼ決定でしょう。

しかし、人は論理的に正しいといわれても、実は納得できません。
多くの人々は、「論理」ではなく「信頼」によって物事の正否を判断しています。
よく知らない私の言葉を信頼できないのは、仕方がないことです。

もうひとつ納得する方法としては、「感性」を用いる方法があります。
実際に大麻山周辺を巡って、その貴さを感じることです。
今まであまり書きませんでしたが、機根が整っている人には、
これが一番早い方法でしょう。

ぜひとも巡ってもらいたい場所は、次の5か所です。

1 大麻比古神社・大麻山
2 天河別神社古墳群
3 萩原墳墓群
4 諏訪神社古墳群
5 阿王塚古墳


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聖地大麻山9

「記紀の神代紀の舞台は大麻山周辺であり、倭人伝の邪馬台国の都もこの地域にあった」
という仮説を述べました。

確かに、萩原墳丘墓、阿王塚古墳、西山谷古墳といった前期古墳には、
大陸から取り寄せた優品の鏡が副葬されており、大陸とのつながりは明白です。
2世紀後半以降優れた航海能力をもった阿波の氏族が日本の広い範囲に勢力を
拡張していたことについては、伝承や考古学的な証拠が各地に残っています。

しかし、大麻山周辺を邪馬台国の都とするにはまだ足りないものがあります。
それは、倭人伝に以下のように記された径百余歩の卑弥呼の墓です。

「卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。」

径百余歩(145メートル余り)もの巨大な墳丘墓が見つからないというのは、さすがに不自然です。

大麻比古神社の伝来帳には、次のような天日鷲命の伝承がありました。

まり山
右御神徳蹴鞠の坪を守らせ玉ふより残りし名にて御座候


「まり山」は、大麻比古神社の裏にある「丸山」のことであると考えられます。
この小高い山は長径は130m近くあり、頂上には「丸山社」と「丸山稲荷社」がまつられています。
それにしても、蹴鞠の坪を守る必要などあるのでしょうか?
もっとほかの「丸いもの」が守られていたのではないでしょうか?
もし「まり」が魏からの贈り物の銅鏡百枚であって、いまだにそこにあるとすれば、
邪馬台国の位置論争は終結します。

この丸山社は、大麻山の頂上と霊山寺を結んだ線分のちょうど中点にあります。

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霊山寺を開基されたという行基菩薩、大麻山をご覧になって感涙を流された弘法大師空海らは、
この丸山こそが卑弥呼=天照大神の墳墓であることをご存じだったのでしょう。
日本統一のために古代の真相が封印されたのであり、東林院、霊山寺、極楽寺、金泉寺は
祖先の御霊を鎮めるために建てられたと考えられます。

しかし、今この時、時代は変わろうとしています。
日本と世界のために封印を解く時が、やってきたのです。
千数百年もの長きにわたる封印によって、四国は高き霊性を保ち続けています。
これから始まる「末世衆生済度の悲願」の舞台として、四国は重要な役割を果たさねばなりません。
(つづく)
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