邪馬台国東四国説(阿讃播の東瀬戸内説) 2011年03月

邪馬台国東四国説(阿讃播の東瀬戸内説)


四国霊場開創から1200年,阿波と四国の完全封印は解けるのか?

日月と鏡3

阿波と大和を結ぶ墳墓が、萩原墳丘墓とホケノ山古墳です。

邪馬台国諸国、瀬戸内東部に? 大和つなぐ古墳十数基

大和巻向にあるホケノ山古墳は、2000年に発掘されました。
そして、土器や木棺の一部の炭素年代測定法などから、
3世紀半ばの築造と判明したのです。
まさしく卑弥呼が活躍した時代の直後です。

さらに、次の3つの特徴が阿波鳴門にある萩原墳丘墓と一致したのです。

1 墳丘が前方後円形
2 木槨内に木棺を納めた二重構造の埋葬施設
3 画文帯同向式神獣鏡の副葬

萩原墳丘墓の築造年代がホケノ山古墳より古いため、この墓の築造には
東四国出身者が深く関与したと考えられています。

ホケノ山古墳の画文帯同向式神獣鏡鏡の銘文は以下の通りです。

吾作明竟 幽煉三剛
配像世京 統徳序道
敬奉臣良 彫刻無祀
百身挙楽 衆事主陽
世徳光明 富吉安楽
子孫番昌 士至高升
生如金石 其師命長

hokeno.jpg
(ホケノ山出土鏡)

阿波と大和は、いかなる関係があったのでしょうか?
「記紀の本来の舞台」は、どこにあったのでしょうか?

(つづく)
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日月と鏡2

なぜ萩原の鏡と楽浪の鏡は、兄弟鏡と呼べるのでしょうか.

驚くべきことに、実は萩原1号墓出土の画文帯同向式神獣鏡は、
朝鮮半島の楽浪郡から出土した鏡とまったく同じ場所に同じ割れ傷があったのです。
そのため、この萩原の鏡は楽浪鏡の踏返しであると考えられています。

rakugamon1.jpg
(楽浪出土鏡)

萩原1号墓の築造年代の古さを考慮すると、この神獣鏡は他の地域
の豪族から分けてもらったものではなくて、この地域の有力者が当時
の朝鮮と直接交渉して得たものである可能性が高いと考えられます。
阿波には阿波忌部氏という優れた海洋氏族がいたことから考えても、
その可能性が高いといえます。

この鏡の銘文は、とても興味深いものです。
以下のように、「天王日月」が5回登場しています。

吾作明竟 天王日月
幽凍三商 統徳序道
配象萬京 天王日月
敬奉賢良 天王日月
曾年益壽 子孫番昌
天王日月 與天無亟
天王日月 見師命長

天王は、六朝~唐代には天子あるいは天子とほぼ同格の王という意味で
用いられていたようです。


ふたたびここで、イザナギが貴い三柱を産み出した時の情景を記しましょう。

『吾あめのしたしらす珍の子を生まむと欲ふ』とのたまひ、
乃ち左の手を以ちて白銅鏡を持ちたまふときに則ち化出づる神有り。
是を大日靈尊と謂す。
右の手に白銅鏡を持ちたまふときに則ち化出づる神有り。
是を月弓尊と謂す。
又首を廻してみるまさかりに則ち化れる神有り。
是を素盞鳴命と謂す。

(つづく)
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日月と鏡1

イザナギや天照大神は、鏡を祭器として用いていたようです。

日本書紀の三神の誕生の時には、次のように記されています。

「『吾あめのしたしらす珍の子を生まむと欲ふ』とのたまひ、
乃ち左の手を以ちて白銅鏡を持ちたまふときに、則ち化出づる神有り。
是を大日靈尊と謂す。
右の手に白銅鏡を持ちたまふときに、則ち化出づる神有り。
是を月弓尊と謂す。
又首を廻してみるまさかりに、則ち化れる神有り。
是を素盞鳴命と謂す。」


天照大神が天石屋戸に御隠れになった時には、次のように記されています。

「天の金山の鐵を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて、
伊斯許理度賣命に科せて鏡を作らしめて、・・・」

さらに、天孫降臨のときにも、天照大神はこうのべました。

「これの鏡は、専ら我が御魂として、吾が前を拜くが如拜き奉れ。」

銅鏡は、鏡面で「日」、鏡背で「月」を示すことができます。
ただし、銅に対して錫の含有率を高くしないと、日月の白光色に
近付けることができません。そのために、高度な鋳造・加工技術
が必要になります。

3世紀初頭の卑弥呼の時代に、九州を除く地域の中では、
先陣を切って優良な舶載鏡が徳島県鳴門市の萩原1号墓に
副葬されています。

この鏡は、楽浪郡から出土した鏡の兄弟鏡と呼べるものでした。

hagiwarak.jpg

(萩原出土鏡)

(つづく)
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猿田彦大神と天宇受売神3

異文化との出会い、そして統合。

猿田彦大神とは、もともとは倭人伝に記された魏からの使者の一団だったのではないでしょうか。

その輝ける使者たちを大神として受容した古代日本人の姿こそ、我々日本人が持ち続けている
寛容という最高の特性ではないでしょうか。

倭人伝では、塞曹掾史張政が率いる第二の魏使団を伊声耆掖邪狗らが送ったという記述があります。
記紀では、猿田彦大神を天宇受売神が送ったとありますが、おそらくこのことを指しているのでしょう。
倭国をふたたび「去りたる」神こそが、猿田彦大神ということです。

記紀では、猿田彦大神は伊勢の阿耶訶(あざか)にいらっしゃったときに、
貝にその手を食い挟まれて沈み溺れてしまったことになっています。
伊声耆・掖邪狗は、中古音だと .ii-∫iεng- zii-yiεk-zia-k∂u(いしぇんぜ・えざこ)であり、
伊勢瀬・エザコ(いせぜ・えざこ)-->五十鈴・阿耶訶(いすず・あざか)と転訛した可能性があります。

倭人伝と記紀を統合することによって、我々の祖先の勇気ある行動を具体的に知ることができるのです。

jinjab.jpg

倭人伝

238年
卑弥呼が大夫難升米と次使都市牛利を帯方郡に送った。
明帝は難升米を率善中郎将、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を
仮に与え、ねぎらって物を賜い還すと述べた。卑弥呼には金印紫綬
を仮に与えると述べた。


240年
建中校尉梯儁らは倭王に詔をもたらし、皇帝からの賜り物を送り届けた。
(難升米・都市牛利はともに倭国に帰国)
倭王は使に因って上表文を奉り、詔恩に答謝した。(梯儁は魏に帰国)

243年
伊声耆掖邪狗は皇帝に献上品を送り届けた。率善中郎将の印綬を仮に
与えられた。

245年
皇帝が難升米に黄幢を仮に与えると述べた。

247年
狗奴国とはもとより不和であった。卑弥呼は郡に載斯烏越を郡に遣わして、
狗奴国との交戦の状況を説明した。
塞曹掾史張政らは詔書・黄幢をもたらし、難升米に仮に与え、檄をつくって
告諭した。(伊声耆掖邪狗はともに倭国に帰国?)
卑弥呼が死んで、大きな冢を作った。男王を立てるが国中が服さないので、
卑弥呼の宗女壱与を女王に立てると国中が平定した。張政は檄をつくって
壱与に告諭した。壱与は大夫率善中郎将掖邪狗ら20人を遣わし、張政らを
送らせた。(張政は魏に帰国)
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猿田彦大神と天宇受売神2

日本書紀にしたがって、その場面を描いてみましょう。


突如現れた謎の神の眼力は八十万の神々を圧倒し、どの神も尋ねることができません。
そこで天照大神は天宇受売神に命令します。

「汝は、眼力に優れ相手を威圧する力を持っている。行って尋ねるように」

天宇受売神は、なんと自分の胸乳を露わにして、裳の紐を臍の下に押し垂らして、
大笑いして謎の神に向かい立ちます。

「天宇受売神よ、あなたがそうするのはどういう理由だろうか?」

「天照大神の御子がお通りになる道にこのように立ち塞いでいるあなたこそどなたでしょうか?
反対にお尋ねします。」

「天照大神の御子が今降臨されるとうかがった。それでお迎え申し上げているのだよ。
私は猿田彦大神という。」

「あなたが私の先に行きますか?それとも私があなたの先に行きましょうか?」

「私が先に立ってご案内しよう。」

「あなたはどこに行こうとされるのでしょうか?
御子はどこにお着きになるのでしょうか?」

「天神の御子は筑紫日向の高千穂のくしふる峰にお着きになるだろう。
私は伊勢の狭長田の五十鈴川の川上に着くことになる。
私の正体を明かしたのはあなただから、あなたは私を送り届けるべきだろう。」


古事記と日本書紀では、発言者や場面が異なっています。
文書ではなく口伝によるものでしょうから、これは致し方ないところです。
共通点を拾い上ると、以下のようなことがあったと考えられます。

圧倒的な眼力の謎の神が登場した。
どの神も対抗できず、踊り巫女の天宇受売神が応対した。
謎の神は自分の正体を明かし、天孫と自分の目的地を示した。
さらに天宇受売神は、猿田彦大神をお送りした。

ooasa4.jpg

猿田彦大神と天宇受売神は、お互いに認め合っていたのでしょうね。
この二神の関係は、とても素敵だなあと思います。
のちに結ばれたのでしょうか?(^^)
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猿田彦大神と天宇受売神1

陽と陰の出会い

魏と倭、 皇帝と女王、 建中校尉と踊り巫女

中国と日本が出会った瞬間です。

当時、中国はまさに『三国志』に描かれる戦乱の時代でした。
その戦乱の時代を生き抜く高級将校率いる魏使団が、
皇帝からの膨大な贈り物を携えて倭国にやってきたのです。

鎧兜に身を包んだ武官の一団は、倭人の目になんと美しく映ったことでしょうか。
記紀には、その驚きの場面が描かれているようです。

古事記
「天の八衢に居て、上は高天原を光し、下は葦原中国を光す神、是に有り。」

日本書紀
「一の神有りて、天八達之衢に居り。其の鼻の長さ七咫、背の長さ七尺余り。
当に七尋と言ふべし。且口尻明り耀れり。
眼は八咫鏡の如くして、てりかがやけること赤酸醤に似れり」

一糸乱れぬ一団は、七尋(12.6m)の一つの大きな生き物のように見えたようです。
口尻が輝くという不思議な情景は、当時の中国の軍人が身に着けていた「明光鎧」
という鎧によるものでしょう。

「明光鎧」
三国時代・晋代には明光鎧・筒袖鎧が多く使用されている。
明光鎧の特徴は胸部と背部の円形の護心鏡と呼ばれる大型プレートで
胸部と背部の防御力を高めている。
明光鎧の名は鏡のように磨かれた護心鏡がよく反射することに由来している。

yoroi2.jpg

なお、詳しい推測は、猿田彦大神=魏使説をご覧ください。

しかし、倭国も負けてはいません。
この輝く一団を魅了する女神が登場するのです。

それが、天宇受売神です。

(つづく)
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女王の都5

魏志倭人伝に記紀の神々が登場しているのならば、記紀にも倭人伝
に記載されている魏からの使者が記されているのでしょうか?

記紀の神代紀では、突如得体のしれない神様が現れます。
ニニギの命が天降ろうとする際に、天の八衢に居て、
上は高天原、下は葦原中国を光す神です。
その神とは、国つ神でありながら天つ神が進むべき道を示した
大いなる神「猿田彦大神」です。

古事記
「天の八衢に居て、上は高天原を光し、下は葦原中国を光す神、是に有り。」

日本書紀
「一の神有りて、天八達之衢に居り。其の鼻の長さ七咫、背の長さ七尺余り。
当に七尋と言ふべし。且口尻明り耀れり。
眼は八咫鏡の如くして、てりかがやけること赤酸醤に似れり」
(鼻の長さ七咫(ナナアタ=約1.2m)もあり、背の丈は七尺(約2.1m)あまりで、
身長は七尋(ナナヒロ=約12.6m)近く。しかも、口と尻は明るく光っていて、
目は八咫鏡のように円く大きく、真っ赤なホオズキのように照り輝いている。)

私は、この大神こそが魏からの使者らが神話化されたものと考えています。
魏からの最初の使者とは、建中校尉梯儁らの一行でした。

yoroi.jpg

倭人伝

238年
卑弥呼が大夫難升米と次使都市牛利を帯方郡に送った。
明帝は難升米を率善中郎将、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を
仮に与え、ねぎらって物を賜い還すと述べた。卑弥呼には金印紫綬
を仮に与えると述べた。

240年
建中校尉梯儁らは倭王に詔をもたらし、皇帝からの賜り物を送り届けた。
(難升米・都市牛利はともに倭国に帰国)
倭王は使に因って上表文を奉り、詔恩に答謝した。(梯儁は魏に帰国)

243年
伊声耆掖邪狗は皇帝に献上品を送り届けた。率善中郎将の印綬を仮に
与えられた。

245年
皇帝が難升米に黄幢を仮に与えると述べた。

247年
狗奴国とはもとより不和であった。卑弥呼は郡に載斯烏越を郡に遣わして、
狗奴国との交戦の状況を説明した。
塞曹掾史張政らは詔書・黄幢をもたらし、難升米に仮に与え、檄をつくって
告諭した。(伊声耆掖邪狗はともに倭国に帰国?)
卑弥呼が死んで、大きな冢を作った。男王を立てるが国中が服さないので、
卑弥呼の宗女壱与を女王に立てると国中が平定した。張政は檄をつくって
壱与に告諭した。壱与は大夫率善中郎将掖邪狗ら20人を遣わし、張政らを
送らせた。(張政は魏に帰国)

(つづく)
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女王の都4

もし卑弥呼が天照大神であるならば、魏志倭人伝と記紀の登場人物が重複する可能性があります。
倭人伝において魏との交渉に当たったとされる人物の名前はそれほど多くありません。

難升米 (nan-thi∂ng-mer, nan-∫i∂ng-mei)
都市牛利 (tag-dhi∂g-ngiog-lied, to-ziei-ngi∂u-lii)
載斯烏越 (ts∂g-sieg-.ag-h^iuat, ts∂i-sie-.o-h^iuΛt)
伊声耆・掖邪狗 (.i∂r-thieng-dhier-diak-ngiag-kug, .ii-∫iεng- zii-yiεk-zia-k∂u)

発音は、上古音(漢代まで)と中古音(唐代)を記しています。
(∂はeを逆転させた発音記号)
魏書が編纂された頃の音韻は、これらの中間あたりではないかと推測されています。

これらの音訳語からもとの日本語を復元したいわけですが、日本語の音韻体系と中国語の音韻体系
は異なっているため、それほど簡単ではありません。
たとえば、日本人が英語のcup, back, heartを音訳するときにそれぞれカップ、バック、ハート
とすべてア列にしてしまいます。これと同じように、当時の中国人は「あ」と「お(甲類)」
を区別できなかった可能性が高いのです。倭人伝の音訳語をみると、ずいぶんと「都」の韻母
が多いのはこのためではないかと考えられています。

そこで子音のほうに特に注意を向けて、上記の4名が記紀ではどの神様なのか考えてみましょう。
最初の3名は、天照大神に非常に近い間柄のようです。


神名     日本語         音訳語     天照大神との関係

天忍穂耳  (あめ)のしほみみ   のしょうみぃ    息子

手力男    たぢからを       たぢごり      天の岩戸で活躍

素戔嗚男   すさのを        すしぇををっ    弟

伊勢瀬    いせぜ         いしぇんぜ     ?
?       いぇやこ       いぇやこ      ?

魏への使いは、どうやら天照大神の側近中の側近によるものだったようです。
極めて重要な役割だったからでしょう。

以上のように、倭人伝には記紀の重要な神様が登場しているようです。
それでは逆に、記紀には魏からの使者は登場しているのでしょうか?
(つづく)

oasayamay4.jpg
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女王の都3

天照大神=卑弥呼とする主張に対して、日本の神話と中国正史の記述を
混同してはいけないと思う方もおられるでしょう。
たとえば記紀では、以下のような人間業ではない記述があります。

1 イザナギとイザナミにより、淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、
佐渡、本州という大八島が産み出された。

2 日向、出雲、諏訪、葦原中つ国、伊勢、伯岐、淡海、越などの日本の
広い範囲で神々が活躍した。

3 初代天皇の神武天皇の生存期間は紀元前711年~紀元前585年とされており、
現在の時代区分だと弥生前期になる。

記紀の神代紀のほとんどは、さまざまな地域の神話の寄せ集めだという考え方
が一般的かもしれません。
しかし、私は記紀の神代紀の主要な事柄は、ある地域の歴史上の事実が神話化
されたものであると考えています。

ただし、人間が数百年もの間生存したり、数百キロという距離を短時間に移動
したり、弥生前期に大和に天皇がいたというのは、生物学的・考古学的に
認めがたいことです。
これらの年代と地名については、何らかの理由(おそらく政治的な意図)によって
神話化された可能性があります。

実は、倭人伝に登場する人名のいくつかは、記紀の神代紀にも登場しているのです。
(つづく)

mikamo1.jpg


三加茂神社の大楠です。
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女王の都2

女王の都を探すことは、卑弥呼の径百余歩(直径約150m)という巨大な墳墓
を探すこととほぼ同じだと考えられています。
この墳墓には、おそらく魏の皇帝からの贈り物が副葬されているはずで、
それらが邪馬台国の位置論争の決着を付けることになると考えられています。
これらの中には、卑弥呼の好物であった銅鏡百枚が含まれています。

魏志倭人伝
「今、絳地交竜錦五匹・絳地スウ粟ケイ十張・セン絳五十匹・紺青五十匹を
以て汝が献ずる所の貢直に答う。また、特に汝に紺地句文錦三匹・細班華
ケイ五張・白絹五十匹.金八両・五尺刀二口・銅鏡百牧・真珠・鉛丹各々
五十斤を賜い、皆装封して難升米・牛利に付す。還り到らば録受し、悉く
以て汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝に
好物を賜うなりと。」

邪馬台国畿内説の根拠のひとつは、その時代に築造され、のちの大和政権
につながるような巨大な墳墓は巻向にしかないということです。
具体的には「箸墓」が卑弥呼の墓ではないかと考えられています。
記紀では、この墓は崇神天皇朝に活躍した倭迹迹日百襲媛命のものとされています。
古墳の築造年代も3世紀中頃と時代が一致し、さらに百襲媛命は巫女的な性格を
もっていたことも根拠になっています。

このような巨大な墳墓が存在する以上、畿内説を超えるためには、
卑弥呼の墓と言えるような墳墓を具体的に指し示す必要があるのです。

3世紀中頃に築造された巨大な墳墓は東四国にないのでしょうか?
私はこの点を解明したいと、1990年代前半からずっと思っていました。(つづく)

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