邪馬台国東四国説(阿讃播の東瀬戸内説) 2011年04月

邪馬台国東四国説(阿讃播の東瀬戸内説)


四国霊場開創から1200年,阿波と四国の完全封印は解けるのか?

阿波の五角形

力を合わせなければ、この強力な封印は解けないのでしょうね。

大麻比古神社拝殿の奥にある丸山公園。その小高い丸山の上には丸山社と丸山稲荷社が相対しています。

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地神塔では、天照大神は北向きです。
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阿波の完全封印を解く4

もし天照大神以来の皇統が事実であるならば、それは人間の歴史だということです。
古代の男系の世代間隔は20~40年であり、平均は25年~30年程度でしょう。
ヒトの最も精力的な期間は、現代と大きく変わるわけではありません。

このことを考慮に入れて、記紀の記載、考古学的な事実と適合するように年表を組みます。
「神」という文字が使用された天皇・皇后「神武天皇、崇神天皇、神功皇后、応神天皇」
に謎を解くカギがあります。

神武天皇の前にニギハヤヒの神が大和に降臨されていたこと。
神武天皇も崇神天皇も最初の天皇でいらっしゃったこと。

     崇神天皇=ニギハヤヒの神ではないか。

神武天皇のあとの8代の事績が記されなかったこと。

     神武東征によって、西に残された8代の皇族ではないか。

神功皇后の事績は4世紀後半であること。
応神天皇の出生に謎があること。

     応神天皇=神武天皇ではないか。

こうして、すべての謎を解決する年表を組むことができます。
ニギハヤヒと天照大神の祖先は同じなので、皇統は問題ありません。

正史では、阿波と大和の皇族をいずれも尊重して、なんとか繋いだのでしょう。
ただし、阿波の8代の天皇の事績は大和との関わりが密接だったために、
記載しなかったのでしょう。

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阿波の完全封印を解く3

日本古代史の真相を受け入れることは、我々日本人にとって辛いことです。
しかし、それは我々に勇気を与え、本当の幸せを与えてくれます。

何が辛いのか。
それは、我々の祖先が嘘をつかねばならなかったことです。
しかし、当時は仕方なかったのです。
日本は、今のようなまとまった国ではなかったのですから。
この国を統合するため、諸外国に伍するために、正史を書き換えてしまいました。
本来の神代紀の舞台は、きわめて狭い地域です。
年代の多くは、讖緯説に基づき引き伸ばされています。

何が幸せなのか。
それは、我々日本人が皇統を二千年近く保持したことを示せることです。
古代天皇の多くが実在性を疑われていますが、本当にいらっしゃったのです。
これほど永く皇統を保持できたことは、世界の奇跡でしょう。
そして何よりも、我々の祖先はきわめて勇敢でした。
遠く離れた大陸まで航海し、魏の皇帝から高い称号を与えられました。
小国でありながら、きわめて貴い存在なのです。

我々は、祖先の勇気をとりもどせるでしょうか。
この日本を、世界の最高の宝石として輝かせることができるでしょうか。
それは、我々の意志と行動にかかっています。

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阿波の完全封印を解く2

記紀に記されている古代の天皇には、多くの疑問があります。
主な疑問を記してみます。

1 神武東征という日向から大和への大遠征が、歴史上の事実として本当にあったのか?
  もしそうなら、日向の古代の遺物・文化が大和に見出せるはずだが、ほとんど見出せない。

2 なぜ神武天皇と崇神天皇は共にハツクニシラススメラミコト(初めて天下を治めた天皇)とされるのか?
  初代天皇と十代天皇がいずれも最初の天皇と呼ばれるのは奇妙である。

3 なぜ欠史八代があるのか?
  2代天皇から9代天皇まで、記紀には天皇の事績が記されておらず、実在性が疑問視されている。

4 応神天皇の出生がはっきりしない理由は何か?
  Wikipediaから抜粋(一部省略)  
  「父は仲哀天皇で、母は神功皇后とされるが、出産が遅れたこともあり異説が多い。
  父として「是に皇后、大神と密事あり」とある住吉大神や、あるいはまた武内宿禰とする考えもある。
  このような出生の神秘性は、本来応神天皇が前王朝との血統上のつながりを持たず、
  新王朝の開祖であるとされたことを物語っているとするものもある。」

5 記紀の年代が中国や朝鮮で記された年代と異なるのはなぜか?
  たとえば、神后皇后(170-269)の三韓征伐については、
  朝鮮側でも記録が残っているが、それは4世紀後半のことであり、
  100年以上の開きがある。

これらの疑問をすべて解消できるでしょうか?

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阿波の完全封印を解く1

これまでの話を認めると、阿波の歴史は完全封印されたということになります。
阿波こそが古代大和政権の母体であったのに、その事実は記紀などの文献によって
抹殺されてしまったということになります。

近代まで阿波の人々は、阿波に古代の都があったということを語り継いでいたようです。
しかし、中央の政権によって編纂された「正史」により否定され続けました。

一方、太平洋戦争終結以降、この「正史」は批判の対象となっています。
たとえば、古事記/日本書紀における崩御の年齢は以下のように記されており、
あまりに長寿な天皇が多くいらっしゃることから、そのままの事実として
受け入れることは難しいと思われます。

イザ ?/?
天照 ?/?
忍穂 ?/?
ニニ ?/?
ヒコ ?/580
フキ ?/?
神武 137/127
綏靖 45/84
安寧 49/57
懿徳 45/(77)
孝昭 93/(114)
孝安 123/(137)
孝霊 106/(128)
孝元 57/(116)
開化 63/115
崇神 168/120
垂仁 153/140
景行 137/106
成務 95/107
仲哀 52/52 神功 100/100
応神 130/110
仁徳 83/?
履中 64/70

天武天皇の年齢研究 歴代天皇の年齢より

また、神代紀では日本の広い地域が舞台になっており、
短時間でその距離を移動することはおそらく不可能であり、
歴史上の事実とは認めがたい点が多々あります。

我々は、この「正史」をどのようにとらえるべきなのでしょうか?
「正史」をその記述通りに受け入れることが、本当に良いことなのでしょうか?

天孫降臨から神武天皇まで1,792,470余年が経過したというのですから、
記述通りに受け入れると日本はとんでもなく長い歴史を持った国になります。

我々は、今こそ封印を解かねばなりません。
未来の日本人が「うそつき」と呼ばれないように。

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神代の真相

記紀における埋葬場所をまとめると以下のようになります。

伯伎 イザナミ、素戔嗚
淡海 イザナギ
伊勢 天照大神、猿田彦
東の山の上 大国主を訪れた神
日向 ニニギ、ヒコホホデミ、フキアエズ

現段階での墳墓の推定をしてみます。
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伊邪那美
故、その神避りし伊邪那美神は出雲国と伯伎国との堺の比婆の山に葬りき。(古事記)

伊邪那岐
故、その伊邪那岐大神は、淡海の多賀に坐すなり。(古事記)

速須佐之男命
「僕は妣の国根の堅州国に罷らむと欲ふ。」(古事記)
「須佐能男命の坐します根の堅州国に参向ふべし。」(古事記、大屋毘古神)
熊成峯に居しまして、遂に根国に入りましき。(日本書紀)

天照大神
この二柱の神は、さくくしろ、五十鈴宮に拜き祭る。
次に登由宇気神、こは外宮の度相に坐す神なり。(古事記)
「是の神風の伊勢国は常世の浪の重波帰する国なり。傍国の可怜し国なり。」
故、大御神の教えのままに、その 祠を伊勢の国に立つ。(日本書紀)

猿田彦大神
故、其の猿田毘古神、阿邪訶に坐す時、漁為て、比良夫貝に其の手を咋ひ合さえて、
海塩に沈み溺れたまひき。(古事記)

大国主神
「吾をば倭の青垣の東の山の上に拜き奉れ。」(古事記、依り来る神)
「吾は日本国の三諸山に住まむと欲ふ。」(日本書紀、大三輪の神)

瓊瓊杵命
因りて筑紫の日向の可愛の山陵に葬りまつる。(日本書紀)

日子穂々手見命
御陵はすなはちその高千穂の山の西にあり。(古事記)
日向の高屋山上陵に葬りまつる。(日本書紀)

鵜葺草葺不合命
西洲の宮に崩りましぬ。因りて日向の吾平山上陵に葬りまつる。(日本書紀)
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聖地大麻山10

これまで、魏志倭人伝、記紀、地名、伝承、考古学などを用いて、
この地が日本における第一の聖地であることを述べてきました。
他にそのような場所は見当たらないため、論理的にはほぼ決定でしょう。

しかし、人は論理的に正しいといわれても、実は納得できません。
多くの人々は、「論理」ではなく「信頼」によって物事の正否を判断しています。
よく知らない私の言葉を信頼できないのは、仕方がないことです。

もうひとつ納得する方法としては、「感性」を用いる方法があります。
実際に大麻山周辺を巡って、その貴さを感じることです。
今まであまり書きませんでしたが、機根が整っている人には、
これが一番早い方法でしょう。

ぜひとも巡ってもらいたい場所は、次の5か所です。

1 大麻比古神社・大麻山
2 天河別神社古墳群
3 萩原墳墓群
4 諏訪神社古墳群
5 阿王塚古墳


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聖地大麻山9

「記紀の神代紀の舞台は大麻山周辺であり、倭人伝の邪馬台国の都もこの地域にあった」
という仮説を述べました。

確かに、萩原墳丘墓、阿王塚古墳、西山谷古墳といった前期古墳には、
大陸から取り寄せた優品の鏡が副葬されており、大陸とのつながりは明白です。
2世紀後半以降優れた航海能力をもった阿波の氏族が日本の広い範囲に勢力を
拡張していたことについては、伝承や考古学的な証拠が各地に残っています。

しかし、大麻山周辺を邪馬台国の都とするにはまだ足りないものがあります。
それは、倭人伝に以下のように記された径百余歩の卑弥呼の墓です。

「卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。」

径百余歩(145メートル余り)もの巨大な墳丘墓が見つからないというのは、さすがに不自然です。

大麻比古神社の伝来帳には、次のような天日鷲命の伝承がありました。

まり山
右御神徳蹴鞠の坪を守らせ玉ふより残りし名にて御座候


「まり山」は、大麻比古神社の裏にある「丸山」のことであると考えられます。
この小高い山は長径は130m近くあり、頂上には「丸山社」と「丸山稲荷社」がまつられています。
それにしても、蹴鞠の坪を守る必要などあるのでしょうか?
もっとほかの「丸いもの」が守られていたのではないでしょうか?
もし「まり」が魏からの贈り物の銅鏡百枚であって、いまだにそこにあるとすれば、
邪馬台国の位置論争は終結します。

この丸山社は、大麻山の頂上と霊山寺を結んだ線分のちょうど中点にあります。

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霊山寺を開基されたという行基菩薩、大麻山をご覧になって感涙を流された弘法大師空海らは、
この丸山こそが卑弥呼=天照大神の墳墓であることをご存じだったのでしょう。
日本統一のために古代の真相が封印されたのであり、東林院、霊山寺、極楽寺、金泉寺は
祖先の御霊を鎮めるために建てられたと考えられます。

しかし、今この時、時代は変わろうとしています。
日本と世界のために封印を解く時が、やってきたのです。
千数百年もの長きにわたる封印によって、四国は高き霊性を保ち続けています。
これから始まる「末世衆生済度の悲願」の舞台として、四国は重要な役割を果たさねばなりません。
(つづく)
  1. 大麻山
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聖地大麻山8

本来の神代紀の舞台・・・それは三里四方におさまる小さな貴い聖地です。

IMG_oasax1_1ac.jpg

大和に東遷したあと、地名の読み替えによって、日本全体に舞台が広げられたわけです。
(つづく)
  1. 大麻山
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聖地大麻山7

では、記紀における地の舞台も大麻山の周辺で探し出せるのでしょうか。

すなわち、日向、伊勢、出雲、淡海、出雲、伯伎、越といった国々は、
本当はどこにあったのでしょうか?

鍵は、国名そのものにあります。
国名によく似た地名がちゃんと残ってくれているのです。

kasane2.jpg


(つづく)
  1. 大麻山
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