邪馬台国東四国説(阿讃播の東瀬戸内説) 2016年08月

邪馬台国東四国説(阿讃播の東瀬戸内説)


四国霊場開創から1200年,阿波と四国の完全封印は解けるのか?

猿田彦大神=魏からの使者(高級武官)

天照大神=卑弥呼であるならば,記紀の神代記に魏との交流が記される可能性があります.
猿田彦大神こそ魏からの使者であった高級武官の建中校尉梯儁
および塞曹掾史張政がモデルであると推測します.


その理由は,記紀に記された奇妙な内容が以下のように説明できるからです.

猿田彦大神が輝く理由・・・高級武官が身に着けた明光鎧の護心鏡
「明光鎧」
三国時代・晋代には明光鎧・筒袖鎧が多く使用されている.
明光鎧の特徴は胸部と背部の円形の護心鏡と呼ばれる大型プレートで
胸部と背部の防御力を高めている.(前後が明るく光る.)
明光鎧の名は鏡のように磨かれた護心鏡がよく反射することに由来している.

yoroi2.jpg


猿田彦大神の登場と送迎が異様な理由・・・極めて重要な使者
魏からの高級武官を中心とする一団であり,その鎧兜と統率力は倭人に驚異を与えたと考えられる.
皇帝からの大量の贈り物を届ける重要な使者であり,送迎には神経を使う必要があった.
使者は武官として軍事上の指示をしたと考えられ,記紀における猿田彦大神による天つ神への
降臨先の指示と対応する.
さらに,魏志倭人伝における伊声耆掖邪狗らと魏との交流については,記紀の猿女らと猿田彦大神
との交流が対応する.

魏志倭人伝
238年
卑弥呼が大夫難升米と次使都市牛利を帯方郡に送った。
明帝は難升米を率善中郎将、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を
仮に与え、ねぎらって物を賜い還すと述べた。卑弥呼には金印紫綬
を仮に与えると述べた。


240年
建中校尉梯儁は倭王に詔をもたらし、皇帝からの賜り物
を送り届けた。(難升米・都市牛利はともに倭国に帰国)

倭王は使に因って上表文を奉り、詔恩に答謝した。(梯儁は魏に帰国) 

243年
伊声耆掖邪狗は皇帝に献上品を送り届けた。
皇帝が伊声耆掖邪狗に率善中郎将の印綬を仮に与えた。

245年
皇帝が難升米に黄幢を仮に与えると述べた。

247年
狗奴国とはもとより不和であった。卑弥呼は郡に載斯烏越
を郡に遣わして、狗奴国との交戦の状況を説明した。

塞曹掾史張政は詔書・黄幢をもたらし、難升米に仮に与え、檄をつくって
告諭した。(伊声耆掖邪狗はともに倭国に帰国?)

卑弥呼が死んで、大きな冢を作った。男王を立てるが国中が服さないので、
卑弥呼の宗女壱与を女王に立てると国中が平定した。
張政は檄をつくって壱与に告諭した。
壱与は大夫率善中郎将掖邪狗ら20人を遣わし、張政らを送らせた。(張政は魏に帰国)


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猿田彦大神の輝き

猿田彦大神.

国つ神でありながら,天つ神たちに眼力を恐れられ,
天孫の降臨先を示すなど,記紀の中でも異彩を放つ大神です.


古事記
「天の八衢に居て、上は高天原を光し、下は葦原中国を光す神、是に有り。」

日本書紀
「一の神有りて、天八達之衢に居り。
其の鼻の長さ七咫、背の長さ七尺余り。
当に七尋と言ふべし。且口尻明り耀れり。
眼は八咫鏡の如くして、てりかがやけること赤酸醤に似れり

訳:鼻の長さ七咫(ナナアタ=約1.2m)もあり、背の丈は七尺(約2.1m)あまりで、
身長は七尋(ナナヒロ=約12.6m)近く。しかも、口と尻は明るく光っていて、
目は八咫鏡のように円く大きく、真っ赤なホオズキのように照り輝いている。

古語拾遺
「一の神有りて天八達之衢に居り。
其の鼻の長七咫、背の長七尺、
口尻明曜。眼は八咫鏡の如し。」

このように,輝きに満ちた猿田彦大神が記されています.
それはいったいなぜだったのでしょうか.


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